帰路

帰路  は人混みが苦手だ。だから、電車に乗るときは常に俺が気をつけなきゃいけない。ひとり分しか座席が空いていないときは、優先して座らせるし、ふたりで座れるときには、を隅にしてやる。
 毎日ではないが、の気が向いたとき、俺たちは一緒に帰る。部活が終わるまで、大抵は学校の図書館で、本を読んでいたり、課題を進めたりして待っている。は本好きだから、おおかたは読書なのだが。よく昼休みに小難しそうな小説を借りていたりする。図書館とは言っても、自習室として利用している奴がほとんどだから、みたいに純粋に読書するための場所として使うのは珍しい。
 時間になると、は図書館の前に出て、俺が来るのを待っている。図書館は校舎から完全に独立していて、体育館のすぐ向かえに建っているのだ。
 そうして、ふたりで一緒に帰る。
 手も繋がないし、腕も絡ませない。高校生にしては、随分ストイックな付き合い方だと思う。は、そういったことに対して非常に淡白な性質だ。そっけないというのか、冷たいというのか。俺とはまるで逆の性格をしている。
 だからなのか、付き合い始めたとき、周りからはよく反対された。
「一ヶ月もったら奇跡だな」
 そう言ったのは仲の良いクラスメートで、けれど、奇跡のせいかはわからないが、現実に俺たちはまだ続いている。
 俺の日常が、バスケと学校(そして)で構成されているとしたら、彼女の日常は睡眠、僅かな学校、そして隙間に俺が入って構成されているだろう。

 少し前まで、正確には俺と付き合うまで、はあまり学校に来ていなかった。雨の日や、体育のある日は、必ず休んでいた。成績が良いから、先生にも煩く言われない。一体暇な一日なにをしているのか疑問に思って訊くと、真面目な顔をして、午後は大体寝てるの、と答えた。
「夜眠れなくならねえの?」
 驚いて俺がまた言うと、少し考えるような素振りを見せた後に
「ならない」
 と彼女は言った。実際、がちゃんと学校にくるようになって、その言葉の正しさは実証された。最初のころ、生活リズムの変化にの体がついてこられず、午後の授業は寝てばかりいた。うつらうつら、というレベルではない。机に突っ伏して、きれいに熟睡していた。別に夜更かしをしているわけではないらしい。
 授業中の居眠りについては、自分もとやかく言える立場ではなかったが、それでも、のは俺が眠り病ではないかと疑う程酷かった。


 駅のプラットフォームは、これから帰宅するのだろうサラリーマンやOL、そして学生でごった返している。この時だけは、俺もの腕を掴んで列まで移動する。列は、彼女のことを考えて、遠くてもなるべく人が少ないところに並ぶ。
 が、たまにしか一緒に帰りたがらないのはこのせいだ。バスケ部の練習が終わる時間帯は、帰宅ラッシュとかぶる。は人混みですぐ気持ち悪くなる。きっと、なるべく人の少ない時に電車に乗りたいと思っているだろう。だから、俺は彼女に、一緒に帰ろうとは誘わない。
 でも、たまには俺が部活を終わるまで、図書館で待っていたりする。お返しというわけではないが、俺はその分、をいたわる。

 前に一度、人混みが苦手だと知らなくて、街を一日連れ回してしまったことがある。我慢していたのか、会っている間は何ともない顔をしていたが、次の日彼女は学校を休んだ。
 に直接人混みが苦手だと言われたことはないけれど、なんとなく俺は知っている。そしては、俺が知っていることを、やっぱりなんとなく知っていると思う。
 それは、彼女の甘えでもある。

 電車が着くと、同時に開いたドアから人が溢れ出てくる。俺は、離していたの腕をまた掴む。電車に乗り込むと、初めに隅の空いた席を探して、を座らせる。もうひとり分のスペースがあれば、自分も座る。
 大抵はこの時点でぐったりしていることが多い。俺が立っているときは手摺に、横に座っているときは肩にもたれかかっている。もう当たり前のことだから、俺は謝らないし、もお礼を言わない。
「寝てもいい?」
 が訊くので、俺はああ、と返事をする。毎回のことだし、本当は訊かなくとも構わないのだが。は俺の肩に頭を乗せて、目を閉じる。
 の方が一駅先に降りるから、それまでそっとしておいてやる。少しでも楽になるように。
 暇になった俺は、ぼんやりと窓に流れていく景色を眺める。日が長くなったせいか、まだ空はオレンジ色だ。遠くに立ち並ぶマンションや家に、灯りがつき始める。今見つめているあれのひとつひとつに、それぞれ人間が住んでいるのだと思うと、なんだか不思議だ。
 肩のに視線を向けると、静かに寝息を立てていた。首に当たって、ちょっとくすぐったい。
 肩に乗る頭。寄りかかられる体。このほんの僅かな重さに、俺は支えられているのだと思う。
 全身を委ねられて、たまに俺は泣きそうになる。実際には泣かないし、こんなことは絶対ににも言わないけれど。
 肩に頭をもたげられる度に、少しだけ幸福になる。このままを起こさないで、どこか遠くまで行ってしまいたくなるくらいに。

 車内にアナウンスが流れる。次はの降りる駅だ。現実から逃げられない俺は、そっと彼女の薄い肩を揺らした。




090325
なんとなくほのぼのとした感じで。