私たちの共通点は、雨が好きなことだ。音楽の趣味も、読む本も違うけれど、ふたりとも雨が好き。よく、教室から窓の外を見る。雨にすっかり濡れた町は、いつもと違う雰囲気を纏っていて、それだけでちょっと特別に思える。灰色の空から薄い線がいくつも降ってくるのも、空気がいつもより湿っているのも。
 たまに、信長の部活が終わるまで待って、一緒に帰る。それが雨の日の場合、ほとんどふたりで一本の傘に入って歩く。信長は傘を持ってきたためしがない。朝から降っていれば、話は別だけれど。天気予報を見ないのか、単に面倒なのか。絶対に午後から雨が降る、とわかっていても、雨具を用意しない。そもそも、濡れるのが苦じゃないらしい。
 雨の日はわくわくする。信長は楽しそうに言った。目を細めて言うその様子は、まるで犬のようだ。うちの近所で飼われている、ゴールデンレトリバーを思い出す。暑さに弱いらしく、夏になると、よく家の前で飼い主がホースの水をかけてやっている。犬は嬉しそうに、尻尾を千切れそうなくらい振っていた。
 他にも、変に人なつっこいところとか、感情に真っ直ぐなところなんて、本当にそっくりだ。

「傘、持ってないの?」
 私が訊くと、信長は濡れて帰るからいい、と答えた。その日は運良く小雨程度だったけど、いくら信長が丈夫だって、普通に考えれば風邪を引いてしまうだろう。ぎょっとして、私の傘に一緒に入ればいいじゃない、と言った。すると、が濡れるから、俺はいい、と断られた。その傘じゃあ、ふたりは入らないからと。
 確かに、私の傘は決して大きくはない。しかし、ふたりで並んで歩くのに、相手がずぶ濡れなのを放って置く神経でもないのだ、生憎。
 頑張って説得して、結局はふたりで一本の傘に収まる。何も言わないけど、自然と傘は信長が持ってくれた。肩と肩が、触れ合いそうなくらい近かった。背の高さが大分違うせいで、少し私に雨がかかる。信長がそれに気を使って、私の方に傘を傾けるから、彼の肩ははみ出てびしょ濡れだ。白いワイシャツの中に着ている黄色いシャツが、透けて見える。
「寒くない?」
 見上げて尋ねると、信長と目が合った。そして、傘を持っていない方の手をスポーツバッグにがさがさ突っ込んだかと思うと、ジャージが出てきた。バスケットボール部の、海南のロゴが入っているやつ。ほれ、と言って私に差し出した。得意気な顔をしている。そういう意味じゃなかったんだけどね。心の中で呟く。でも嬉しかったから、ありがとう、と言って素直に受け取った。
 ジャージは当然ながら大きくて、私が着ると、すっかり指先まで隠れてしまう。手の出ていない袖をまじまじと見て、やっぱり信長は男の子なんだなと思った。ジャージに染み付いている、においも。
 信長のにおいは、なんだか安心する。本人は汗の臭いだと言うけど、たぶんそれとは別だ。精神安定剤のようなもの。


 道路には所々水溜まりができていて、ローファーで踏む度に音を立てる。この分だと、靴下もびしょびしょだろう。コンクリートは雨に濡れ、街灯に照らされて、てらてらと光っていた。もう少しで、駅に着く。

 不意に名前を呼ばれたかと思うと、腕を引かれて、キスをされた。一瞬の出来事だった。信長の後ろに見えた、傘の赤色だけが、目に焼き付いた。信長はなんでもなかったように、また歩き始めて、なんだか悔しくなった。いつもはあんまりしないのに。
「……ずるい」
 恨めしそうに言った。頬が信じられないほど熱い。胸がまだどきどきしている。信長は私を見下ろして、かっかっか、と笑った。悪戯が成功した、こどもみたいな顔をして。きっと、私の顔は真っ赤に染まっているのだろう。
 不意打ちは卑怯だ。わざと眉を寄せて、そっぽを向いてやった。少し信長から離れる。傘からはみ出た肩が雨に濡れたけど、私は気にしなかった。こういう時、大抵信長は黙って手を引くか、腕を掴むかしてくれるから。
、濡れてる」
 ほらね。真面目な顔をした信長は、私の腕を引っ張って、中に引き込んだ。ブラウス越しに信長の体温が伝わって、たったそれだけのことなのに、私はとても幸福な気持ちになる。うっかり頬が緩みそうになったけれど、唇を噛んで抑えた。掴まれていた腕は、すぐに離されてしまった。

 真っ直ぐ前を見て歩く信長を、私はこっそりと見上げる。肩のワイシャツの染みは大きくなっていて、黄色がより鮮やかに透けていた。でも彼は何も言わない。相変わらず、赤い傘は私の方に傾いている。信長の、そういうところが好きだ。優しくされると、たまに泣きたくなる。女の子、という扱いに、まだ慣れていない。本当は遅くなってもひとりで帰れるし、缶ジュースもちゃんと自分で開けられる。ちょっとくらい濡れても平気だし、道路側を歩いたって、車には轢かれない。だけど信長は、私をいっぱい甘やかしてくれる。付き合うって、そういうことじゃないかなと最近思う。
 じっと見つめていたら、視線を感じたのか、急に信長が振り向いた。
「どうした?」
「……近所で飼われてる犬と、信長が似てるなあと思って」
 しどろもどろで答えると、意外と鋭い信長は、嘘に気付いているみたいで、少し笑っていた。全部、見透かされている気がした。私は借りたジャージの裾を握る。
 赤い傘の数メートル先に、駅が見えた。




090409
雨の話が書きたかったのです。前のサイトで書いたものとちょいとかぶってる……。