blue day

blue day blue day  最近、クラスの子によく話しかけられる。まだ名前と顔が一致しないことが多いけど。彼女たちは、皆して同じ質問を私に投げ掛ける。休み時間にわざわざ席までやって来て(しかも大抵ふたり以上で)、可愛らしい声で言う。
さんて、清田くんと付き合ってるの?」
 苗字にさん付けで呼ばれるあたり、クラスメートとの距離を感じる。ちょっと笑っちゃいそうになるけど、にっこりと細められている目は案外真剣だから、私は首を傾げて答えてあげる。いかにも、予想外な質問をされました、という風に。
「清田くん? 付き合ってないよ」
 仲はいいけどね、と期待されている通りの台詞を言う。私の言葉を聞いた女の子たちは、お礼を言って、満足そうに席から立ち去っていく。
 ほうら、私の思った通りじゃん。付き合ってるわけないって。噂を真に受けちゃだめだよ。一組の子が一緒に帰ってるの見たっていうのだって、ただの人違いじゃない?
 ひそひそと話す声が微かに漏れた。さっきのだけで信じてくれたのなら、私はけっこう演技がうまいのかもしれない。信長が知ったら、また怒られそうだけれど。

 別に隠すことないだろ?
 信長は唇を僅かに尖らせて、そう言う。でも、荒波立てない人間関係を築くためには、ちゃんとそういう道が必要なことを、私は知っている。親しくもなんともない人に、あることないこと言われて、変な視線を向けられるのは、まっぴらごめん。だったら、嘘を吐いても、厄介事は回避した方が利口だと思う。
 そうとは言っても、私も鬼じゃないから、本気の子には本当のことを教える。訊いてくる人のほとんどは単なる噂好きな子だけど、たまにいるのだ。ひとりでこっそり、顔を赤らめながら、今にも泣きそうな目をして私の席に来る子。そういう姿を見ていると、不意に罪悪感に襲われる。ごめんなさいと、どうしようもなく、謝りたくなる。
 たぶん、信長は知らないこと。

 色々考えていたら、少し憂鬱な気持ちになってきた。机の横にかかっている鞄から白いスケジュール帳をひっぱり出して、前に写した時間割を見る。木曜日、A週。三限目は英語。ため息を吐く。さぼってしまおうかな。あんまり英語は好きじゃない。
 だいたい、教科担当の教師とそりが合わない。学校にあまり行っていなかったとき、一番うるさく注意してきたのがその人だ。それは、すべきことをしていなかった、私も悪いかもしれないけど。そればかりか、顔を合わせる度に、スカートが短いだとか、髪を染めてるんじゃないかとか、言い掛かりをつけられる。他の子と比べたら、私のスカート丈はむしろ良識的で、髪の色だって、今までいじったことがない。反対に、信長は気に入られているけど(というか、信長は学校の大抵の先生から好かれている)。
 いっそのこと、早退しようかな。
 うーんと小さくうめき声をあげて、机にこつんと額をつけた。冷たさを予期していた木の表面は温くて、余計にやる気を失せさせる。

、起きてる?」
 私を名前で呼び捨てにするのは、クラスで一人だけだ。わざと無視して、机に突っ伏したままでいた。間をあけて、また呼ばれる。
「なあに?」
 乱れた前髪を片手で整えながら、体を起こした。信長は私の機嫌の悪さに気付いたのか、少し苦笑した。
「どうしてそんなふてくされてんの?」
 信長が、さもおかしそうに言う。訊かれた私は、そっぽを向いて、眉を寄せた。
「気のせいだよ」
 口調は言葉よりいくらか正直者だったみたいで、自分でもつんけんした言い方になったのがわかった。はっとして、信長の顔に視線をやると、笑みはもう消えていた。
「怒ってるのって、俺のせい?」
 真剣な顔をして言われた。私は慌てて首を横に振る。
「違う。信長のせいじゃないよ。ごめんね」
 本当に腹が立っていたのは私自身に対してだ。理由をつけて、クラスの子に、自信を持って信長と付き合ってると言えない自分。信長のことが本気で好きな子に、劣等感を抱く自分。どうして信長のように優しい人が、真面目な人が、私と一緒にいるのだろうと思ってしまう。そんな不安が、まだ心のどこかに残っているのかもしれない。
 原因は全部、私なのに。
 信長は、なんだ、よかったと歯を見せて笑ってくれたけど、ちっとも気分が晴れない。
「私、もう帰ろうかな」
「え、なんで?」
 だって、自己嫌悪から余計憂鬱になったし。それは言わずに、次、英語だから、とだけ告げ、おし黙っていると、信長が私の額に、なにかをコツンとくっつけた。冷たい。なに? 当てられたままのそれを、持っている信長の手ごと、目線まで下ろした。缶ジュースだ。
「やっぱ暑い日はこれだろ」
 よくよく見てみると、涼しげな青色の缶には、大きく「サイダー」の文字。信長の手が離れて、私の両手に包まれた缶は、表面に汗をかいて、ほどよくひんやりとしている。きっと、信長が彼自身のために、食堂の自販機で買ったのだろう。
 自然と頬が緩む。そっと缶を机の上に置いた。
「信長は優しいね」
 相変わらず立ったままの信長に向かって、言った。見上げた顔が僅かに赤かったのは、おそらく暑さのせいじゃない。
 そんなことねえと思うけど。普通だろ、普通。
 照れたように、視線を外した。言葉のわりに、体というか、行動はやっぱり正直だ。さっきの私みたいに。
「だってこれ、もともと信長が自分で飲もうと思って買ったんでしょ?」
 人差し指で、軽くサイダーのプルタブをつつく。こんな些細なことが、私はとても嬉しいだなんて、まだ彼には伝えられないかもしれない。
「……もうちょっと頑張ろうかな」
 色々と。
「帰るのやめる?」
「うん」
 いつか、クラスの子にあの質問をされたら、同じセリフで返せたらいい。
「ちょっと元気出たかも」
 私もつくづく単純だな。心の片隅で思いながら、爽やかな青色の缶を、片目で見送った。




090527
サイダーが出てくる話にしたかったのです。