ループ
机に突っ伏して眠っていると、上から声が降ってきた。
「ここ、私の席」
びくっと肩を揺らして、顔を上げると、見たことのない、紺色のカーディガンを着た女の子が、中腰で俺を覗き込んでいた。まだ眠気が抜けない。窓から差し込む日差しのせいなのか、陽気のせいなのか。春眠暁を覚えず、なんてよく言ったもんだ。俺は、大きな欠伸をしながら、教室の黒板の上にかかった時計に視線を投げる。目を擦ったせいか、文字盤がぼやけている。そういえば、教室を見渡しても、目の前にいるこの子以外に誰もいない。というか、この子は一体だれなんだろう。さっきの言葉を信じれば、ここは彼女の席らしい。必然的にクラスメイトってことだ。でも、入学して1ヶ月、俺は一度もこの子を見かけたことがない。そもそも、ここは初めから空席扱いされていて、窓際の一番後ろの位置にあるから、たまに俺みたいな奴が昼寝にだったり、弁当食うにだったり、使われていたのだ。
「本当にここ、お前の席?」
疑心もあってそう訊くと、その子は僅かに眉を寄せた。そして、床に置いてた鞄を肩にかけ、そのまま教室を出ていってしまった。多少は気になったものの、再び襲ってきた眠気には到底及ばないようだった。俺はまた、机に突っ伏して眠った。
しばらくそうしていると、また上から声が降ってきた。
「信長。もう放課後だよ」
俺は頭を掻きながら、ゆっくり体を起こした。窓からオレンジ色の光が差して、眩しい。少し蒸し暑い教室は、がらんとしていた。首を傾げて、目の前に立っているのはだった。彼女が着ている真っ白なブラウスと、背景になっている夕日とのコントラストが、目をチカチカさせる。は、寝癖がついていると、柔らかく笑って俺の髪を撫でた。細い指に頭をかき回されて、ちょっとくすぐったい。その手を掴んで、じいっとの目を見る。どうかしたのと尋ねられて、俺は息を吐いた。そして、右耳を机にくっつけた。ひんやりとした感覚が、皮膚に気持ち良い。
「夢にが出てきた。初めて会った時の」
「そう」
なんでもない風な返事は、やっぱり彼女らしい。は目を細めて、窓の外を見た。野球部のランニングする掛け声が聞こえる。また眠気が襲ってきて、あと5分したら起こしてくれと頼みながら、俺は机に突っ伏した。
上から声が降ってきたのは、しばらく経ってからだった。まずい。部活に遅れる。がばっと起き上がって時計を見ると、短針はまだ十二と一の真ん中を指していた。
あれ。さっきは放課後だったのに。
くるり、と横を向くと、立っていたのはだった。眉を思いきりひそめて、迷惑極まりないみたいな顔をしているけど。またあの紺色のカーディガンを着ているし。教室が心なしか、僅かに涼しく感じる。なんだか頭が混乱してきた。
「前も言ったと思うけど、ここ私の席なの。どいてくれませんか?」
いくらか言葉は丁寧だったけど、は心底うんざりしているようだった。
時間が戻っている。たぶん、今は俺とが初めて会った、三日後くらい。あの日、午後に学年集会があって、俺は昼休みにの机で寝こけてた。起こしてくれた友達に、もう5分したら行くから、なんて寝ぼけながら言ったんだ。結局そのまま眠って、教室でひとりきりだった。そうしたら、ちょうど登校してきたに会ったんだ。
「?」
だんだん、どこまでが現実で、どこまでが夢なのか、区別がつかなくなってきた。これが夢? 放課後に起こされたのが夢? それとも、自体、実在しない、俺が勝手に作り出した夢なんだろうか。今目覚めたら、またがすぐ側にいるのだろうか。あるいは友達や先生が立っていて、授業中に居眠りをするなと叱られるのだろうか。
「なんで私の名前を知ってるの?」
は目を丸くした。そうだよな、いきなり親しくもない奴に下の名前呼ばれたんだから。でも、もしかしたら、は夢の中だけの存在かもしれないんだ。そんなの、俺は御免だ。
困惑したままのに、下を向いたまま、ぽつりぽつりと話を始めた。今日あったことを、最初から。
言い終わって、ちょっと気まずそうに(そりゃあ、普通なら頭のおかしいやつだって思われても仕方ない内容だし)顔を上げた。は、さっきのような、こわい顔こそしていなかったけど、相変わらずかたい表情のままだった。たぶん、俺の話が嘘だろうと本当だろうと、今のは、どっちでも構わないんだ。彼女は興味無さげに言った。
「元の場所に戻れるといいね」
もしそれが俺の妄想でなかったらの話だけどな、という言葉はかろうじて飲み込んだ。
「おう。だから俺、もう一回寝る」
俺は机に突っ伏した。次に起きたら、元の世界に戻っていますように。
昼休みが終わるチャイムを聞きながら、ゆっくり瞼を閉じた。
「おやすみなさい」
耳に届いたの声が、少しだけ柔らかくなった気がした。
だれかが俺を呼ぶ声がする。
「信長。もう放課後だよ」
俺は目を擦りながら、ゆっくり机から体を起こした。窓から夕日が差し込んで、眩しい。窓の閉め切られた教室は、俺たち以外、だれもいない。覗き込むように、目の前に立っているのはだった。彼女が着ている真っ白なブラウスと、背景になっている反射した黒板とのコントラストが、目をチカチカさせる。は、服の線のあとがついていると、柔らかく笑って俺の頬を撫でた。白い指がそっと輪郭をなぞって、ちょっとくすぐったい。その手を掴んで、じいっとの目を見る。どうかしたのと尋ねられて、俺はなぜだか安堵した。大きく、肺から全ての空気を追い出すように、息を吐いた。そして、左耳を机にくっつけた。ひんやりとした感覚が、皮膚に気持ち良い。
「……なんか夢を見てた」
「なんの?」
「よく覚えてないけど、たぶんがいっぱい出てくる夢」
「私が? いっぱい?」
彼女はおかしそうに、くすくす笑った。
あれ? 俺はなんの夢を見ていたんだろう。像が霞んでうまく思い出せない。だけど、実際、目の前にがいて、酷く安心したんだ。
「」
「なあに?」
「手かして」
「手?」
はきょとんとしつつも、右手を差し出した。遠くに、野球部のランニングの掛け声が聞こえる。俺は左手で、ぎゅっとその手を握った。暖かくて、柔らかくて、なんだか胸が切なかった。
090506
夢の話を書いてみました。季節の変化を表したくて、カーディガンを着せたり、春眠のくだりを入れてみたのですが……。うーん、わかりづらい感じですね。